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6年度 学年だより等

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源頼政伝承


■1 源 頼 政 伝 承

 源頼政は、平安時代の末期(1105年)に摂津源氏源仲政の長男として生まれました。頼政は弓術が上手だったようです。このころは平家全盛の時代でした。
 源頼政は、二度の鵺退治で名を上げました。「鵺」とは伝説上の怪獣で頭は猿,胴は狸、尾は蛇、手足は虎に似て、声はトラツグミに似ていたといわれています。
 平治の乱で頼政は、平清盛側に味方しました。そのこともあって、平清盛が勝利をおさめました。しかし、世の中は「平家にあらずば人にあらず」というようになってしまいました。平安時代末期(1180年4月)、源頼政は以仁王とともに兵を挙げ、平家打倒に挑みました。しかし、失敗し25日、宇治平等院の
境内で自害したといわれています。この頼政の首を埋めた場所として伝えられているのが、結縁寺の東南300mの山林にある「頼政塚」です。
 頼政は、死に際して家臣に「吾が首を持ち東国へ向かっていけ。吾が止まらんと欲する処に行かば、首が重くなって動かなくなろう。そこに塚を築いて首を葬れ」と遺言したとされており、家臣たちは東国に向かい急に首が重くなり歩けなくなったところがこのあたりだったと伝えられています。
 この塚には、糸が添えられています。農作業で手首が痛くなった時に、この糸を巻きつけられると不思議に治ると言われています。
 また、塚の手前右側には、再建された「頼政堂」があります。
(1)入 定 塚
 結縁寺の鎮守である熊野神社に登る石段の手前にあるのが,頼政の遺徳(死後又は後世に残るなさけ)を慕って、伊勢の国から訪れた女性が入定したと伝えられる。入定塚です。塚には小さな石碑が建てられてあり、入定した旨が刻まれています。
           
(2)名 馬 塚
 結縁寺に西南にあるのが、頼政の首を運んできた馬を葬ったと言われている名馬塚です。以前はお堂が建てられており、その中に納められていたと伝えられています。塚の傍らには刻像塔や文字塔の馬頭観音が十数基あり今でも馬の好物の人参がときおり供えられています。