4年生は社会科の学習で、千葉県内で地域の発展に尽くした先人がどのようなことをしたのかや、様々な苦心や努力により当時の生活の向上に貢献したことを理解できるようにする学習に取り組んでいます。本埜小学校では、郷土の先覚者として「吉植庄一郎」「吉植庄亮」の二人にスポットを当て、子孫の方にお話を伺いに行きました。お弟子さんたちが建立してくださったそうです。「吉植庄一郎・庄亮」さんが暮らしていた母屋も残っていました。印旛沼の水害の様子や、開墾の様子など、当時の写真を見せながら丁寧に説明してくださいました。一人一人が見やすいように、子供たちの手元に写真を回してくださいました。ご自宅にも、歌碑が建立されていました。「吉植庄亮」さんは、大正・昭和初期の時代に活躍した千葉県三大歌人と呼ばれ、千葉県文化会館に歌碑が建立されているほどです。戦前の国会議員として農業改革に尽力したり、印旛沼周辺の芦原を開墾し、吉植新田(広さは、約東京ドーム13個分)を作った人です。特に、県内外から農家を入植させ、大型トラクターで大規模集約経営を行った事業は昭和前期としては極めて先駆的で、自作農日本一の経営者として多くの注目を集めたそうです(印西歴史ガイドブック 新・印西名所図会 参照) その父「吉植宗一郎」さんも、印旛沼一帯の人々から感謝を込めて、「宗吾霊堂」に大きな頌徳碑が建立されるような人です。碑文には、吉植庄一郎が利根川や印旛沼一体の治水問題に取り組み、安食水門建設に多大の貢献があったという内容が記されているそうです。 地域の先人の働きによって現在の私たちの暮らしがあります。4年生は、この学習を通して、どのようなことを感じることができたでしょうか。